アフガニスタンからの邦人退避について

今日はこの話題です。
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1.アフガンから邦人救出


8月27日、アフガニスタンからの退避を希望している日本人1人が、首都カブールの空港に到着し、自衛隊の輸送機で隣国パキスタンの首都イスラマバードに退避しました。

また、カブールに入っていた外務省や防衛省の先遣隊チームや自衛隊員も、ともにイスラマバードに引き上げているということです。

政府は退避する人について、邦人数人と、日本大使館で働いていたアフガン人職員ら最大計約500人を想定していたのですけれども、退避した57歳の日本人女性以外の日本人は残留を強く希望したとのことですから、邦人については退避希望者は全員退避したものの、日本大使館で働いていたアフガン人職員ら現地スタッフは取り残されてしまったようです。

政府は引き続き退避任務を継続するとしていますけれども、アメリカ軍撤退後以降はそれも難しくなるものと思われます。


2.現地スタッフを退避させた韓国


一方、現地スタッフ含め、自国民全員の退避に成功した国もあります。韓国です。

韓国は、韓国政府に協力し働いていた現地スタッフとその家族391人を、無事にカブールに脱出させました。

8月22日、アフガニスタン事態を議論するために開かれた20ヶ国の外交次官会議で、アメリカのシャーマン国務省副長官が、自国と取引するアフガンバス会社を利用する案を提示しました。

これは、アメリカが取引しているアフガニスタンのバス会社に退避希望者を乗せ、そのバスで、アメリカ軍とタリバンが守っている検問所を通過させるという方法です。これは、タリバンとアメリカは事前に指定したバスは空港に入れることで合意していたことを利用した作戦です。

韓国政府は、退避作戦を実施するにあたり、空軍などで構成する66人の特殊任務部隊を編成し、23日に軍輸送機3機を派遣しました。当初は退避希望者が自力で空港に集合した後に空輸する予定だったのですけれども、タリバンが空港に至る道に検問所を設置して市民を追い返していたため、24日に空港までたどり着いたのは26人だけでした。

そこで、韓国政府は「バス作戦」を実行に移しました。

いったんカタールに避難していた4人の韓国大使館員はカブールに戻り、6台のバスを確保。大使館の連絡網を通じて、市内に散らばって待機させたバスの位置と集合時間を退避希望者に伝え、全員をバスに収容。さらにアメリカ軍の兵士に同乗してもらい、タリバンの検問を通過。25日に空港に到着しました。

退避希望者に連絡網を使ってバスの待機場所を具体的に伝え、全員乗せることが出来たとのことです。


3.一日の差


では、なぜ日本はそれが出来なかったのか。

その原因の一つとして指摘されているのが、1日の遅れ、です。

韓国が使った「バス作戦」は、22日に行われた20ヶ国の外交次官会議が提示されたということですから、当然、日本も使ったと思われます。

実際、日本人やアフガニスタン人スタッフらを乗せたバスが空港に向かったのですけれども、その日は26日と韓国のそれより1日遅れました。

けれども、この26日に、ISによる空港周辺での爆弾テロが発生。空港に向かっていたバスは、爆発が見えて引き返したと報じられています。

もっとも、テロの警戒情報は25日からありましたから、日本大使館員含め危険は承知の上で向かったのではないかと思います。結果論ながら、前日の25日に空港に向かうことが出来ていれば、あるいは退避を希望する現地スタッフを退避させることが出来たかもしれません。

なぜ一日遅れたかについては、別途政府から説明があるとは思いますけれども、タリバンが通過を許可したバスの台数に限りがあったのかもしれません。各国が数百人単位で退避するとなると、バス一台に50人乗せたとしても400人で8台必要になります。

それが20ヶ国となると160台。タリバンが何台のバスを許可したかは分かりませんけれども、100台も200台も許可はしてなかったのかもしれません。報道では日本の退避者は20台以上のバスに分乗していたそうですけれども、退避希望者は400~500人と韓国の400人足らずと左程変わらないのに、バスの台数は3倍以上あります。空いた席は警護の兵士用に回したとすると、それだけ警護をより強化した可能性が考えられます。

韓国のように6台であれば未だしも、一度に20台も用意するには準備に時間も掛かるでしょうし、であるが故に26日になった可能性もあります。

要するに、「バス作戦」の実施に当たって、各国間でスケジュール調整が行われ、その結果日本は26日になったのではないか。そして不運にも、その日に爆弾テロがあって退避を断念せざるを得なかったということではないかと思います。

安全を削って台数を減らして時間的ロスをなくすか、それとも安全を確保して準備に時間を掛けるか。これはまぁ、考え方にもよりますけれども、どちらを取るかは微妙なところです。


4.希望につながる手


アフガニスタンに置き去りになったのは、現地スタッフだけではありません。元現地スタッフもそうです。

日本がアフガニスタンに大使館を置いたのは1934年。1989年のソ連軍によるアフガニスタン侵攻時に一度完全撤退したのですけれども、2001年にアメリカ軍がタリバン政権を壊滅させた後のハーミド・カルザイ暫定政権を承認。翌2002年に在アフガニスタン日本国大使館が再開されました。

当然ながら、この時からの現地スタッフで残っている人もあれば、解雇された人もいるのですけれども、日本大使館やJICAは雇用していたスタッフの氏名などを含む納税情報をアフガン財務省に提出しています。

それらはデータベースに保管されているのですけれども、タリバンが財務省に保管されているデータへのアクセスすれば、各国大使館や援助に関わっていたアフガニスタン人の情報を得ることになります。

タリバンは旧政府に協力していたアフガニスタン人とその家族を捜索・摘発されていることからも、彼らの身に危険が及んでいるであろうことは容易に想像できます。

なんでも、元スタッフ達は、親戚や友人宅を家族全員で不定期に移動し、できるだけ居所を1ヶ所に固定しないようにし、買い物は子供に行かせ、それ以外の時は家族全員で家にこもっているという有様だそうで、既に極限状態に近いと思われます。

これについて、JICAでアフガニスタン駐在経験を持つ、福岡大学の林裕准教授は「今まで協力してくれたアフガン人を見捨てれば、日本が失うものは大きい。……彼らに『日本に裏切られた』『日本に見捨てられた』と思わせないためにも、31日の米軍の撤収期限以降も救い出す手立てを見いだし、私たちは『日本は自分たちを見捨てない』という希望につながる手を打つべきである」と訴えています。

林准教授がいう「希望につながる手」とは何かというと、経済評論家の上念司氏が林准教授に直接聞いた話として「彼らに日本のビザを発給すべきだ」と提案しています。

上念氏によると、アフガニスタン人は交渉上手であり、日本のビザはそれだけで交渉材料にもなり得、同時に彼らを見捨てないというメッセージにもなるというのですね。

アフガニスタンから脱出できるかどうかは彼らの自力に拠るところが大きいとは思いますけれども、確かに一縷の望みになるかもしれません。

日本政府は、元々彼らの退避を計画して、輸送機を飛ばした訳ですし、今なら電子ビザもありますから、緊急特例的に彼らにビザを発給することも検討して良いかもしれません。




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