サヨクは好色で猟奇的(あいちトリエンナーレ騒動が教えたもの ~後編~)

昨日の続きで後編です。
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4.検証委員会の中間報告にみる責任逃れ

では、そもそもにして今回問題となった「表現の不自由展・その後」の展示物についてどう判断されているのか。

これについて、25日、愛知県の検証委員会が中間報告書を出しています。

中間報告書の中から不自由展に関する部分について概要を拾うと次のとおり。
(不自由展の企画と展示の妥当性)
6.過去に禁止となった作品を手掛かりに「表現の自由」や世の中の息苦しさについて考えるという着眼は今回のあいちトリエンナーレの趣旨に沿ったものであり、妥当だったと言 える。
7.しかし出来上がった展示は鑑賞者に対して主催者の趣旨を効果的、適切に伝えるもの だったとは言い難く、キュレーションに多くの欠陥があった。
8.混乱を防ぐために入口に「SNS写真投稿禁止」と表示したが、それでネット上の流布を抑 止できるという想定はそもそも非現実的だったし、それでも徹底して禁止するという仕組みを考えなかった。
9.予算不足と準備の時間の不足が重なり、シンポジウム等の事前のエデュケーションプログラムが企画されなかった。また、展示をガイドツアーで行う等の工夫を考える時間的余裕もなかった。
10.展示された23作品の過半が実は2015年の「不自由展」に出されなかったものだった。 それにも関わらず芸術監督は不自由展実行委員会に「展覧会内展覧会」の形式で展覧会の 開催を業務委託したが、他の方式を事前に検討しなかった。

(準備プロセスの問題)
11.誤解を招く展示が混乱と被害をもたらした最大の原因は、無理があり、混乱が生じることを予見しながら展示を強行した芸術監督の行為にある。そしてその背景にはそれを許す組織体制上の数多くの欠陥があった。
12.芸術監督の不適切な判断や行動に起因する今回のようなリスクを回避・軽減する仕組み(ガバナンス)があいちトリエンナーレ実行委員会および県庁に用意されていなかった。
13.不自由展は不自由展実行委員会との協議を経て開催3日を経て中止された。なお、これは脅迫や電凸等の差し迫った危険のもとの判断でありやむを得ないものであり、表現の自 由(憲法第21条)の不当な制限には当たらない。

(再開に向けて)
14.条件が整い次第、すみやかに再開すべきである。
15.なお、14に先立っては特に海外作家へのコミュニケーションのやり方に留意すべき である。
16.県民及び出展作家への徹底した情報公開と意見聴取を続けるべきである。

(次回以降のトリエンナーレに向けて)
17.あいちトリエンナーレの運営体制を抜本的に見直すべきである。
と、今回の混乱の原因は、展示物の情報整理と説明に欠陥があり、混乱があると予想しながら強硬した芸術監督にあるとし、その上で条件が整えば再開すべきだと結論づけています。この結論であれば、混乱が起こると予想できた時点で、そのように文化庁に申告すればよかったのだというロジックが成立しますから、文化庁の不交付判断に正当性を与えることになると思います。

まぁ、筆者とすれば、混乱云々以前に、どんなに説明を尽くしたところで、この展示内容に公金を使うのは承服できないのですけれども、検証委員会の報告を受け、芸術祭の実行委員会と不自由展の実行委が30日、展示再開で合意しています。

公金投入の是非については、嘉悦大学の高橋洋一教授が、報告書で62の検証ポイントを挙げたにも拘わらず、公金についての検証は「公立美術館では、あるいは公金を使って政治性のある展示は行うべきではないのではないか」のただ一つしかなく、それに対する回答は、「アートの専門家がアートの観点から決定した内容であれば、政治的な色彩があったとしても、公立美術館で、あるいは公金を使って行うことは認められる(キュレーションの自律性の尊重)」と「これは、国公立大学の講義で、学問的な観点からである限り、政府の批判をすることに全く問題がないことと同じである」と簡単な回答で済ましていると述べています。

そして、公費で問題ないとする論拠として、国公立大学の講義を持ちだしているが、その背後には国民の納得・了解という事実があり、それを隠していると指摘しています。つまり、全ての公費には議会の承認が必要であり、そのためには国民の納得・了解が必要になるという「公費の大原則」について中間報告は考慮していないというのですね。

高橋洋一教授は、検証委員会は、公費を前提として、あれこれ言い訳を並べ、責任を現場の芸術監督にかぶせて、行政では責任がないと鋭く批判しています。

これはその通りだと思います。文化庁は「展示物の内容に関与しない」と逃げ、愛知県の検証委員会は「芸術監督の責任だ」と行政に責任はないと知らん顔をする。傍からはただの責任の押し付け合いにしか見えません。


5.自由には責任が伴う

文化庁が中身に関与せず、行政が現場監督に責任があるという判断がスタンダードになるのであれば、今後の公的な展示会の内容は現場監督の考えが全てであり、行政は預かり知らぬということになります。

けれども、そんなロジックはやはりおかしな話です。

その展示会が民間で勝手に行われるのであればともかく、公費を投入するからには、その財布を紐を握っている自治体なり国なりが出す金額に応じて責任も負うのが普通です。その金が税金から賄われている以上、国民の了解が必要になるのも当然のことです。高橋洋一教授の指摘する「公費の大原則」から目を背けることは出来ません。

畢竟、現場監督に誰を選ぶのかについて、より一層厳しい目が向けられますし、無論、自治体も現場監督を選んだ「任命責任」を負うことになります。

ですから、文化庁や、中間報告書が行政に責任がないといくら逃げたところで、逃げ続ける間はずっと今回のような問題は付いて回ることになります。

やはり「表現の自由」とて、自由を行使するにはそれに応じた責任が伴うということです。

これは、筆者の印象ですけれども、ネットでよく"サヨク"と呼ばれる人達は、批判するときには威勢がよいのですけれども、いざ、自身の言動についての責任が問われると逆切れするか、論点ずらしして逃げてしまう傾向が強いように思います。

これらを一言でいえば、おそらく、いわゆる"サヨク"な人達は寛容さに欠ける、ということになるのではないかと思いますけれども、これらに関し、筑波大学システム情報系の掛谷英紀准教授は興味深い研究をしています。

掛谷准教授は、言葉に着目したビッグデータの研究を行っているのですけれども、その中の一つに新聞の社説を読ませて、それがどの新聞の社説かを言い当てる人工知能(AI)に関する研究があります。

そこでは、1991年から2005年までの15年分の社説を使い、偏って多く用いられる語句を統計的に解析し、各新聞に特徴的な表現を抽出するというものなのですけれども、読売新聞と毎日新聞それぞれで使用される末尾表現に明らかな差異があったそうです。

それによると、読売新聞は「ものだ。」、「とされる。」、「て欲しい。」、「のだろう。」、「かも知れない。」、「えるだろう。」といった、弱気な表現が頻出するのに対し、毎日新聞の方は、「であった。」、「のである。」、「なのである。」、「るのだ。」、「れなければならない。」と、断定口調、命令口調の表現が並んだのだそうです。

これについて掛谷准教授は「一般に、リベラル派の方が保守派より穏健で柔らかい表現を使うと思われがちで、実際、名詞には「市民」、「私たち」、「人々」といった柔らかい表現を使うものの。末尾表現を見ると、リベラル派の方が断定的、命令的な表現を用いていて、それを人間の意識に残らないように行っているのが、リベラル派の巧みさである、と指摘しています。

成程、名詞には庶民だとか民意だとか、弱者に沿ったような文言を使っておいて、いざ結論となると命令・断定にしているのは、読者を自分の思惑通りに誘導したい意図があると同時にそうだと悟られないように誤魔化しているということなのかもしれません。けれども、それは結局は、他者への尊重や寛容さに欠けていることの証明にもなっているのではないかと思うのですね。

筆者は2012年の笹子トンネルの崩落事故を受け、悲劇を口実に道路予算を復活させてはいけないという主旨の朝日の天声人語の文章ロジックについて検証したエントリー「天声人語のロジックを検証する」を書いたことがありますけれども、あれと同じ不気味さを感じてしまいました。


6.サヨクは好色で猟奇的

掛谷准教授は他にも興味深い研究を行っています。

掛谷准教授は、一般人における保守派・リベラル派の違いを調べるため、過去15年間の年間売り上げ上位20に入った書籍のうち、保守派・リベラル派が書いた本のレビューを、アマゾンから収集・分析しています。

まず、保守派の著者として、ケント・ギルバート氏、曽野綾子氏、百田尚樹氏を選定。リベラル派の著者には香山リカ氏、姜尚中氏、上野千鶴子氏らを選び、保守派の本に高評価、あるいはリベラル派の本に低評価をつけたレビュアを保守系レビュア、逆をリベラル系レビュアと定義し、彼らのアマゾン上での全レビューを分析しました。

その中で映画のレビューにおいて、保守系レビュアのみが複数レビューし、且つ彼らの平均評点が高い映画を保守派が好む映画、リベラル系レビュアのみが複数レビューしており且つ彼らの平均評点が高い映画をリベラル派が好む映画と定義して分析したところ、保守派は人間ドラマを好み、リベラル派は好色的内容や猟奇的内容の映画を好む傾向があったというのですね。

そして更に、それぞれのカテゴリの映画の解説文を機械学習にかけると、リベラル派が好む映画に「殺す」「誘う」「事件」などの表現が偏って多く見られるのだそうです。

思わず唸ってしまうと同時に背筋が寒くなるような研究結果です。

確かに、自身や社会にとって大切な何かを守りたいと考える「保守」と、既存権力に抗い改革革命を指向する「リベラル」とでは、好みがそれぞれ異なるというのは理解できます。ただ、その好みが「人間ドラマ」と「好色・猟奇」で分かれるというのは、驚きです。

人間ドラマが好まれるというのは、おそらく「共感」が心のベースにあり、好色・猟奇が好まれるというのは「支配や破壊」がその心の奥にあるが故にそうなるのではないかとさえ思えてきます。

勿論、人は大小は別としてその心に「共感」も「支配や破壊」もどちらも持っているとは思いますし、社会の調和には前者が、進歩には後者がより必要であるとは思います。

ただ、それらを無軌道に発揮してしまうと、当然ながら軋轢を生む。それだけに他者への寛容という緩衝材が必要であり、発言や行動として、どのように社会とバランスを取りつつ発揮していくかという命題をはっきりとこの研究は明示したのではないかと思います。

掛谷准教授の研究がどこまで世に知られていくかは分かりませんけれども、他者とのコミュニケーションにおける一つの参考になるのではないかと思いますね。
 

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この記事へのコメント

  • 匿名

    大村知事のやっている事は、日本国民に対して
    愛知と離縁為れ
    ということですな。
    2019年10月08日 23:38
  • 日比野

    匿名さん

    座布団どうぞ(笑) 
    つ◇
    2019年10月09日 08:15