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先日、「ツイッターは漫才のネタ作りに似ている」のエントリーにて、桂枝雀の「緊張の緩和理論」を紹介したけれど、筆者用のメモも兼ねて整理していたら、気づいたことがあったので、忘れないうちに纏めておく。全3回シリーズでエントリーする。 故・桂枝雀は、1939年8月13日、神戸市に生まれる。1961年、神戸大の文学部を「大学がどんなとこか大体分りました」と中退。桂米朝に入門、桂小米となる。73年、桂枝雀を襲名。これを機にそれまでの落語を大きく変え、時にオーバーリアクションを用いるスタイルで一斉を風靡。それまでの落語の概念を大きく飛躍させ、爆笑王の名を欲しいままにした、当世の名人。 まずは、桂枝雀師匠の分類した、笑いの4分類を次に列挙する。 @知的な笑い「変」 @は、知的に高度ではなく、頭で考えて正常でないこと(=変)を指している。つまり「ズレてる」ということ。この「変」こそが緊張になる。だけどその「変」は噺のうえでの作りものであって、本物ではない。だから、その「変」という緊張が嘘話ということで緩和され、笑いになる、という。だから、その「変」が本物であっては、緊張が勝ちすぎて笑ってられない。 Aは、困っていることが緊張になるのだけれど、自分でなくて他人事なので、緊張が勝ち過ぎない。だけど、許容量を超えて、深刻になってしまうと笑いにならないので、ちょっとした程度の困り。 Bは、自分の周囲に緩和の土壌があるときに、ちょっとした緊張を与えると、それが笑いに変化する。それが生理的な笑い。 Cは、他人との関わり合いの中で、触れてはならない、言ってはならないことを度を超えない程度に触れる。これが社会的・道徳的な笑い。この触れてはならないことというのは、相手や状況によってそれぞれに変化するものだから、国によって笑いのツボが違ってくるというのは、この部分に関係するところが大だという。 次に、オチ(落げ)の分類を列挙する。 サゲの分類 上図は、噺の領域区分として桂枝雀師匠が提示したもので、青色の部分が話として「おかしく」ない「ホンマ領域」、上下と中の空白部分が、「おかしい」話となる「離れ領域」と「合わせ領域」。 桂枝雀師匠によれば、落語の噺は、話がおかしくない「ホンマ」領域と、おかしい話の「離れ領域」又は「合わせ領域」を行き来して、最後に「合う」か「離れる」かしてオチになるという。 1.のドンデンは落語中の互いの会話が一旦、合わせ領域に向かって合うように見せかけながら、最後に離れていってしまうというもの。 2の謎解きはその逆で、互いの会話が一旦離れていって緊張を呼び起こして、最後に合わせることで、緩和する。 3、4の変、合わせは、1,2のような振幅がなく、いきなり離れたり、合わせたりする落げ。 12月31日のエントリー「今年の漢字」の最後に、創作小噺を乗せたのだけれど、あの小噺の落げを、この分類に従うと「謎解き」になるのだろうと思う。 熊さんが、鳩を取替える話をしていて、途中で、八っつあんが今年の漢字の話にして一旦「離れる」、そして、何故そんな話を出すのか、と不安領域に振っておいて、最後に幹事長にお願いすればいい、とカンジ落ちで合わせて、小噺は終わる。 この小噺を作ったときには、「緊張の緩和理論」は知らず、小噺になるように普通に創った積りだったのだけれど、結果として出来上がった話は見事に「緊張の緩和理論」に適合している。 ※因みに、あの小噺は、ふと落語風の小噺でも作れないかなと、筆者が、風呂に浸かりながら考えて出てきた話なのですけれども、まず、落ちの部分がひらめきとしてあって、あとでその前の話を考えました。具体的に、どうやって噺を作っていったかについては、メルマガにて・・・(1/9配信予定) 桂枝雀さんが唱えていた「緊張の緩和理論」YouTubeで「緊張の緩和 EXテレビ」などの検索語句で検索すると動画が見れるようです。 さて、それらはどういうことなのかと夢うつつの状態で書き記してみたいと思います。 正直、私もよく理解できていなかったのですが、夢の中で話の辻褄が合ったので、そうか!とひざをポンと叩いたわけです(^^ ・あわせ−はなれ ・はなれ−あわせ ・あわせ−あわせ ・はなれ−はなれ 「緊張の緩和理論」は四分類できると考えておられたようです。 では、ひとつひとつ紐解いていきましょう。 1:あわせ−はなれ これは物語があるところへ収束に向かって大団円を迎えるぞと思っていたら伏兵が出てきて予想外の展開を見せ「そんなあほなぁ」というもの。 例え話として“競馬”を想像してみてください。競馬をなさる皆さんは予想するために競馬新聞や番組などで分析して本命の1着、2着を予想しますよね。レース当日もその予想が当たるかそわそわドキドキとしていらっしゃることでしょう。 この状態が所謂、「緊張」状態なのです。おそらくこういう結末だろうと予想しているけど、走ってみないと分からない宙ぶらりんな心理状態です。 さぁレースが始まった、競馬新聞と馬券を握る手に力が入る。おっ、予想通りの馬が順調に走ってきた、きたきたきたっ!そこへ大外からゴボウ抜きで一頭の馬がかっさらっていった……そんなあほなぁ、へなへなへなぁ orz つまり、落とし所としてこうくるだろうと思っていたのに 予想に反したことが起こってしまった、そんなあほなぁハハハハっ! 競馬などはお金を賭けていらっしゃるので笑えないでしょうけど、落語だとこの「緊張」状態の緩和(予想が外れる)が気が抜けて笑いに繋がるという理論なのです。「あわせ−はなれ」というのは、予想通りの結末に合いそうで、離れていったということです。落語でしたら、結末までに伏線がはっていたりするでしょう。その一連の物語を知っているからこそ起こる笑いなんですね。 2:はなれ−あわせ これは推理ドラマなどをご想像くださると判り易いと思います。真犯人は誰なのか、不安がよぎります。 視聴者の人たちは各々に「こいつが犯人だろ」と推理します。しかし、めぼしを付けていた人物が何者かによって殺害される。「えっ?じゃあ誰が真犯人なんだ?」と物語の収束が見えない。宙ぶらりんな状態、これも一種の“緊張”状態なわけです。 そこへ探偵でも新聞記者でもよいのですが、真犯人を言い当てて捕まえる。それまでの経緯を説明し、「なるほど、そういうことかっ!」と合点する。ここで、“緊張”状態から解放され ほっとする。 これにも伏線が張り巡らされ、針の穴を通すようなトリックで真犯人が判らないという宙ぶらりんな状態を体験し、それを解いてくれると「なるほど」と思えるわけです。 “はなれ”という宙ぶらりんな状況を作り出し、“あわせ”で誰もが納得する結末へと誘うことで大団円する。落語ではこれが効果的に働くと笑いが起こるということです。 3:あわせ−あわせ これも例え話を用いましょう。 「水戸黄門」や「遠山の金さん」を思い浮かべて下さい。悪事を働く悪代官どもはいずれ、とっちめられると視聴者は判っているわけです。つまり、「ここで印籠がでるぞ」「ここで桜吹雪が出るぞ」とね。所謂、マンネリとかベタというネタですね。 皆さんが予想しているところにいずれ辿りつくことははなから承知していますが、どうやって懲らしめられるか楽しみなわけですよね。そこでついつい見ちゃう。ある時間が来れば、やっぱり印籠や桜吹雪が出て大団円。つまり、予想していたところへ収まることで「やっぱりなぁ」と“緊張”状態が緩和されるわけです。 どこに“緊張”状態があったのか?それは悪代官どもの悪事をどうやって水戸黄門や金さんが謎解きをしてくれるのかという期待感というものが、一種の“緊張”ということです。 視聴者にとって見れば、結末は予想通りでもそれまでの過程は知らないのですから、どのようなからくりがあったのか、どういう事情で町娘は困っていたのか、徐々に詳細が明らかになっていく。そうなると益々、期待感が膨らんで印籠、桜吹雪の登場で観念した姿に「そらみたことか」とスッキリするのはお判りでしょう。このスッキリするというのは、それまでに“緊張”状態があったということの証でもあるわけです。 期待したとおりに事が運んで、大団円を迎える。「あわせ−あわせ」とはそういう意味です。 4:はなれ−はなれ これは例え話が浮かびませんので、理屈を話しましょう。予想される結末が見えない状態、宙ぶらりんな心理が“緊張”状態となって、話が進んでいくわけです。「どうなるんだろう?」という不安感や期待感です。期待するのは物語である以上、どこかに落ち着くのは判っているわけで、ならばどこに落ち着くのだろう?という期待を持ちますよね。反面、その正体が判らないので不安もあるわけですね。 終焉に近づいて、全く予想だにしなかった結末がどんっと目の前に示されて、「えーーっ!」と驚いて「そういうのもありかもねぇ」と合点がいくと“緊張”状態から解放され「そんなあほなぁ」と笑いが起こる。 こう書き記しながら思ったのが、「すべらない話」とかいう番組や、「ごきげんよう」、「ダウンタウンDX」でもいいのですが、「お笑い番組」という場合、どういうボケが出てくるか、どういうツッコミをするのかは、ふつう視聴者には判らないですよね。 そこに思ってもみなかったエピソードやツッコミが入ると「それは考えてなかったー!」と心で思いつつ笑ってる。 つまり、「はなれ−はなれ」は予想ができない状況で、話を進展していき、思わぬ結末が繰り出されるのです。 ただし、この結末の「はなれ」の塩梅がむずかしい。はなれすぎると、単に意味不明な世界へ行ってしまい、置いてきぼりをくらうからです。 この例としては、「新世紀エヴァンゲリオン」のTVシリーズの25〜26話が該当するのではないでしょうか? それまで散々、かっこいいアクションを見せつけ、謎めいたことをあちらこちらに散りばめておいて、きっと最終回で謎を解いてくれるものだと信じていたのに、「へっ?それで終わりなの……なんじゃそりゃー!」と置いてきぼりをくらった視聴者は多いことでしょう。 (その不満が劇場版への期待にも変わり、現在もなお映画が製作されるということにもなっています。今となってはそれだけではないでしょうけどね) あまりに予想外すぎて、笑えない……。 逆に平凡すぎても笑えない……。 腑に落ちないし、何が面白いかも感じ取れない。「はなれ」の塩梅がむずかしいのはそのためです。ちょうどいい距離感が肝なのです。 ざっと私なりの見解を書き記してみました。桂枝雀さんに言わせると、こう単純には分類できないそうで、これらの分類を巧みに加減したり混ぜ合わせたりして、落語を演じられるそうです。 実に奥深い「緊張の緩和理論」。人に笑ってもらうという苦悩が垣間見れるようです。 これら全ては「 笑い 」へと繋がっていくわけです。 Posted by 石動 覚 at 06:57:00 URL:http://pub.ne.jp/cadence/?entry_id=2476406 とんでもない人がいた。桂枝雀という人である。 自分が最近気になっていた「笑いの構造」を見事に理論化していた。 http://www.youtube.com/watch?v=D17pyz0n99w&feature=related まずは、笑いの4分類。 @知的な笑い「変」 A情的な笑い「他人のちょっとした困り」 B生理的な笑い「緊張の緩和」 C社会的・道徳的な笑い「他人の忌み嫌うこと」(タブー?) 俺は@が好きだ。言葉と言葉、のありえないおかしな組み合わせ。状況に適さないリアクション。状況に適さない言葉。といったようなかみ合わないものにおかしみを感じる。 そして、サゲ(オチ)の分類。 @ドンデン(合→離) A謎解き(離→合) Bへん(離) Cあわせ(合) 「ホンマ領域」から逸脱した時、笑いが生まれる。「ホンマ領域」というのは、つかずはなれず、合わさらず離れずの状態である。きわめてまっとうな状態である。その「ホンマ領域」から、合う、もしくは、離れる、という「異常」な状態が生まれることで、笑いが生じるのである。 合う→「なるほどなぁ〜」という笑い 離れる→「そんなあほな」という笑い 桂枝雀の理論、すばらしい。哲学的に見ても、大きな功績があるといえるのではなかろうか。他の笑いの構造の研究で、これを上回るものはあるのだろうか。知りたい。 そして、この理論を生かして、自在に笑いを作れるようにならないだろうか。また、それを多くの人に伝えて、誰でもある程度の笑いを生み出すことが出来るようにはならないだろうか。考えてみよう。 URL:http://beastableman.blog45.fc2.com/blog-entry-82.html |
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お笑いの理論「緊張の緩和理論」
お笑いの非常にベーシックな理論である「緊張の緩和」です。「緊張と緩和」と言われることもあります。詳しくは、以下へ。 ...続きを見る |
笑わせる技術を紹介 - お笑いテクニック... 2010/01/22 06:05 |
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