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help リーダーに追加 RSS 戦勝国の論理(田母神論文問題について 最終回)

<<   作成日時 : 2008/11/15 10:00   >>

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戦勝国の論理で世界秩序は作られる。だから、敗戦国がその戦争の正当性を訴えることは、そのまま世界秩序への反抗となる。

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日本側の論理としては、侵略国でないと言いたかったとしても、世界からみれば、それは言わせてはならないことになっている。極端なことを言えば、そうした歴史の書き換えは、もう一度戦争して戦勝国にならなければ出来ない話。

実際問題、もう一度戦争し直すなんてのは不可能だから、もし、敗戦国側の立場から、歴史修正を行いたいとするのであれば、戦勝国側の内部から、実は日本は侵略国家ではなかったのだ、と言わせるように仕向けるしかない。それこそ、ロビー活動なり、戦勝国側の研究機関で再検証を行う作業が必要になってくる。

だから大きくみれば、国家としての歴史認識や政府見解というものは、今の世界の中という立場と、未来のあるべき姿という二つの立場を睨みながら慎重に策定されるべきもの。

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現在ただ今の国益を守るためには、世界秩序を維持する方向での見解を把持する必要があるし、長期的な国益や国家を維持する土台となるところの国の誇りや矜持を保つために、自らを貶める歴史認識一辺倒だけでなく、様々な歴史認識を許容して温めておく必要がある。議論そのものを封殺するのは行き過ぎ。

国内でも様々な歴史認識があるし、在野レベルでは色々な意見を出されているけれど、政府レベルとなると、現時点では世界秩序に則ったこの考えが政府見解です、とするしかないし、そうすればいい。

今回の問題は日本政府は世界秩序を尊守して、シビリアン・コントロールに基づいて更迭しただけのことであるし、田母神元航空幕僚長は、言論の自由を行使して、日本の将来のために、自らが真実と思う所を述べたということ。ただし自らの立場を考えると公でのこうした発言は不適切であったかもしれないことは留意すべきだけのこと。

将来、歴史修正されることがあるかもしれないけれど、それは、歴史修正によって現在の世界秩序に影響を与えないほど古くなったときか、歴史修正する側中心の世界秩序が新しく出来上がるとき。

そうした時代がくるまで、まだ時が必要だろう。

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは

将来、歴史修正されることがあるかもしれないけれど、それは、歴史修正によって現在の世界秩序に影響を与えないほど古くなったときか、歴史修正する側中心の世界秩序が新しく出来上がるとき。

そうした時代がくるまで、まだ時が必要だろう。

「河野談話」「村山談話」を敗戦国の我が国がわざわざ出したということが根本的過ちです。そこからすべてが歪んでしまっている。

さらに欧州の反ナチ法のような、東京裁判史観永久確定という「国会図書館改正法」をいうのを民主党は用意しておりますが、この傲慢さは何なのでしょう?1000年たっても「日本=悪」ですか? 「歴史」に対するアプローチは常に自由であるべきです。いくつもの諸説をそのまま書き、「評価は後世に任せる」とした日本書紀の謙虚さを見習ってほしいものです
カッパ
2008/11/18 16:48
こんばんは。

「河野談話」「村山談話」は確かに現在の国益を棄損している部分があることは確かです。これによって外交的選択権が最初から歪められています。

さらにいえば、その元となる東京裁判の解釈の扱いを間違ったということがその奥にあると考えます。もともと東京裁判は、日本にとって「諸判決」を受け入れただけであって、裁判を肯定しているわけではありませんでした。
この部分については、渡辺昇一氏が以前から言われておられます。私もこの見解に同意しています。http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081010/plc0810100347002-n1.htm

つまり連合国側の言い分はまったく承服しないし、納得もしていないが、「判決」だけは受け入れる。というのが東京裁判における日本側の解釈のはずでした。それがどこで間違ったのか、裁判そのものを肯定することにすり替わってしまった。そしてさらに、「河野談話」「村山談話」でそれを確定的なものにしてしまった。
日比野
2008/11/19 00:58
《承前》
こうなってしまうと、外からみれば、東京裁判史観を受け入れたと思われても仕方ありません。これを覆すには相当なパワーが必要です。正直日本国内でどうこう騒いでも、世界からは相手にされないと思います。それだけの失態をしてしまっている。

よって地道ながら、連合国側へのロビー活動を行って、彼ら側から見直しをさせるように持っていかないと現実には難しいと思っています。残念なことです。
日比野
2008/11/19 00:58
歴史は勝者によって書かれるとはエコノミスト紙のコメント欄でも、肯定的と否定的の意味の両方で随分と言われていましたが、これは日本だけでなくどの国の人でもそういう認識は持っているようです。それでも結局納得しようがしまいが「そういう事にしておけ」みたいなそういう風潮が嫌ですね。

田母神論文にまつわる一連の騒ぎで良かったと言われているのが、「こういう議論が出来るようになった事」という意見で、何度か目にしました。これは主に日本国内向けに重要であったろうと思われます。

ただ一方で、中国や韓国との関係においては、村山談話も日本側の都合で出されたものであり、例えば靖国参拝で日中関係が悪化した要素はあり、どうも特亜とのトラブルは、あちらよりも日本発で起こしているケースが多いなという印象は一方ではあります。
文太
2008/12/02 13:00
こんばんは。

「歴史は勝者によって書かれる」は世界標準規格だと考えるべきなのでしょうね。

「そういう事」にしておいたほうが勝者は傷つくことはないし、秩序は保たれるので、そういう事に何が何でもしたいでしょう、ただ、そう言って勝者の胡坐をかいている当の本人でさえ、ひとたび敗者になれば、それまでの自身の歴史を悪し様に書き直されるのだ、ということを自覚しているかどうかはわかりません。

また、敗者といえども100%の絶対悪であったわけでもなく、勝者が100%の絶対善であるわけでもありません。日本なかりせば、今持って植民地はあったでしょうし、人種平等もずっと先の世界でしたでしょう。
日比野
2008/12/02 23:55
《承前》
でも彼らはそういった事は言いません。自分達の正義の一部が揺らぐからです。本音をいえば原爆ドームも取り壊したいくらいにと思っているはず。東京裁判では「人道に対する罪」で日本を裁いた連合国ですが、実は原爆ドームの存在そのものが、彼らを「人道に対する罪」で裁き続けています。

日本は勝者の側に完全に入るまでの間はそうしたことで、ちくちくと皮肉を言い続ける、または見せつけることもプロパガンダ戦的には大切なことです。その意味では、反日暴動で襲撃され、壊された北京の日本大使館もそのままにしておくべきでした。そしてねちねちと毎年壊された建物の前で追悼式でもなんでもやればいいのです。

脛に傷のない国なんてどこにもありません。ですから日本人的にはとても下品に感じることなのですが、相手に自分の行った悪行を何らかの形で見せつけておくくらいのことは、プロパガンダの「作法」ではないかとさえ思います。
日比野
2008/12/02 23:55

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