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柔道とJUDO(北京五輪にみる日本のスポーツと文化 その2)
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作成日時 : 2008/08/28 10:00
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「一本でなくてもいい、勝てばいい。」
北京五輪男子柔道100キロ超級で見事金メダルを獲得した、石井慧選手の言葉。
柔道が「JUDO」となってから随分経つけれど、今回の北京五輪では、柔道とJUDOの違いが如実に現れていた。
日本の柔道は曰く、一本を狙う柔道。組んで技をかけて投げる、綺麗な柔道。対して「JUDO」は、なるべく組まずに、タックルを仕掛けて相手を倒してポイントを稼ぐ、レスリングのようなジュウドウ。JUDOではなくてジャケット・レスリングだ、という声もあるくらい。
ただそれでも、柔道には「朽木倒し」とか「諸手狩り」のようなタックル技がある。規則上認められた技で戦うのはなんら不思議なことではないし、「技あり」「有効」「効果」といったポイントがある以上、優勢勝ちを狙う戦い方も理の当然。
陸上400mリレーでは、日本が3位になって銅メダルを獲得して、80年ぶりの快挙だと喜んでいるけれど、米国、英国、ナイジェリアの有力候補が相次いで準決勝のバトンミスで姿を消したからだと言えなくもない。だけどラッキーで手にしたその銅メダルは価値がないという人はいない。バトンミスした国はさぞかし悔しかっただろうけれどミスはミス。ルールに則って正々堂々と日本は決勝に進んでメダルを獲った。何ら恥じることはない。
それと同じで、世界各国もなんとかしてJUDOでメダルを獲ろうとして、ルールに則った上で、研究を重ねた結果、レスリングのようなポイントを稼ぐスタイルに行きついただけのこと。
そもそも柔道は1882年に嘉納治五郎が日本の講道館において創始した柔術に起源を持つ武道。
柔術は、武術でもあり護身術でもあったから、それはルール無用でいきなり襲われても対処できなくちゃいけなかったもの。如何なることがあっても「負けない」という大前提がそこにはある。勝つ必要は必ずしもないけれど、負けることだけは避けなくちゃいけない。負けたらその場で殺されてしまうのが戦場。だから武術は勝利至上主義(不敗至上主義)そのものなのだと言える。生き残るために生み出された技術だから当たり前。
そうした戦闘術のひとつであった柔術を武道に変容させて、精神鍛錬にも重きを置いたのが柔道。
もともと、講道館で柔道が始まった当初は、講道館の人も柔術出身者ばかりだった。明治後期に講道館柔道が全国に広まるにつれて、試合を講道館のルールで行う柔術道場が増えたというから、柔術が柔道に取って代わられたということ。
これは、日本の柔道が世界のJUDOに取って代わられる可能性も同時に示してる。
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